
国難を救う神としての宇佐神宮の歴史は大変古く、宇佐神宮は、皇室第二の宗廟とされます。かつて、日蓮上人は、伊勢で、「我、国難を救う柱とならん」と、発願しました。神様に、仏教の日蓮上人が、祈ったのです。「我、国難を救う柱とならん」と。その当時は、鎌倉時代。元寇があった時代です。大陸から元軍が侵攻してきました。日蓮上人は伊勢の神や宇佐八幡宮の神に祈りながら、祈願札を製作し、これを博多湾から海に流しました。その翌日、暴風雨が起きて、元の大船団が難破し、元軍は敗退していきました。もちろん、サムライたちの武士たちの、必死の戦いがあって、元軍が船上にとどまったからこその暴風雨です。今、尖閣が某国に狙われています。沖縄を日本から独立させて、自国に編入して日本から奪い取る計画です。今こそ、心ある国民が国防祈願をしっかりと行うべき状況です。愛国心のある人はぜひ、宇佐神宮にお参りしましょう。日本国を侵略から守って頂けるように祈りを結集しましょう。
宇佐神宮の祭神は仏教においては八幡大菩薩とされました。神道と仏教の融和は日本のすばらしき文化です。日本文化を守っていかねばなりません。日本文化を守るとは、どういうことなのか。その第一は歴史教育です。歴史を失った民族は滅ぶと言われています。神社には、歴史の物語が結集しています。多くの神社には、神話の時代から伝わる祖先の物語があります。学校教育の場で、神社に詣でて、神主から神社の伝承の物語を聞くことは、すばらしい日本人を育てる文化教育です。ところが、これを一部の新興宗教の団体が信仰の自由を盾に拒否したり抗議したりするためこうした伝統に触れる機会が失われています。おかしいのはこうした団体は外国人の団体ではないのです。レッキとした日本人なのです。なぜ、日本人でありながら、日本文化を拒否するのか、その人の心のふるさとが外国にあるからでしょう。
あの日蓮上人は、伊勢の外宮で「われ、日本国の国難を救う柱とならん」と願を発し、法華経を守護する神社を30社選定しています。この日蓮を祖とするはずの一部の人々が、神社参拝を拒否しているありさまは滑稽です。日蓮上人は蒙古襲来のとき、宇佐八幡宮の神に祈り「八幡大菩薩」と御札に書いて祈念して海へ流したのです。日蓮は本当の愛国者であったのです。ところが、その末たちは、愛国心を教育基本法に組み込もうとした総理を妨げ、結局、愛国心の言葉が、郷土を愛すると書きかえられてしまいました。もう一度、学校教育の場に、神社との触れ合いを取り戻すことが日本を救うことになるはずです。
宗像大社は、古来、大陸から本州や九州へ侵攻してくる敵を防ぐための神域として古来、崇敬を集めてきました。バルチック艦隊を日本の連合艦隊が撃破したのも、宗像大社の沖合であったということも有名です。神社とは、国を守る祈りの場でもあったのです。日本神話にみる神の教えは古事記を読むことで深く理解できます。天照大御神様の古事記におけるエピソードを学ぶと、そこには心の道の教えが秘められていることがわかってきます。「はたらく」という教えについてここではあげておきます。神様の世界である高天原において、天照大御神様は、機織をしたり、稲を育てたりして、生産活動をしておられます。この生産活動は労働であり、神様の世界は労働が喜びであるとわかります。はたらくことを通じて、神性は発露していくのです。これが日本人のもつ勤労を尊ぶ精神にもつながってくるのです。また、「のりなおし」という教えもあります。スサノオノミコトが高天原で乱暴狼藉を働いたときのことです。天照大御神様が一番最初にされたことは「のりなおし」でした。
これが日本民族の善良でお人よしの民族性につながっています。しかし、肝心なことは、スサノオノミコトが「のりなおし」という寛大な処置にも改心をみせなかったときに、彼には厳罰が科せられて、償いの旅に送り出されることになったことです。日本民族はあくまでも邪悪に攻めてくる外国勢力には、いずれ断固とした処置をとることにもなりましょう。このように伊勢の教える人の道は古事記や日本書紀の中にすべて遺されているのです。まずは古事記をじっくりと読むことで多くの気づきが得られます。パワースポットとはいかなるものなのでしょうか。雑誌などでさまざまな寺社をパワースポットとして紹介しているようですが、はたして、その中のどれが本物のパワースポットと言えるものなのでしょうか。有名な寺社の中にもすでに邪気汚染が進んで、ダメになっているところも増えているとの話もあります。間違って、そのような場所を使うとむしろデメリットが多くなるのです。
厳島神社は、宗像大社と同じ三女神をおまつりしている神社で広島県の宮島にあります。厳島神社は安芸国一の宮です。平清盛や毛利元就が崇敬し、平氏や毛利氏に大繁栄をもたらした神社です。庶民の願いを叶えてくれる慈悲深い神様でもあります。人生に苦しむ人には大いなる癒しを授けて下さることでしょう。厳島神社(いつくしまじんじゃ)は、広島県廿日市市の厳島(宮島)にあります。推古天皇が即位された593年に創建されています。祭神は、宗像大社と同じ、いちきしまひめ、たごりひめ、たぎつひめ、という女神様です。平氏もそうですが、毛利氏も毛利元就の時代に厳島の合戦で中国一の大大名となっていたにもかかわらず、関が原での敗退で多くの領地を失いました。私たちは、人間はたとえ成功して大立者となったとしても、決しておごり高ぶることなく、謙虚な心を失ってはならないことを教えられるのかもしれません。厳島神社も経済における大きな働きをもっています。事業繁栄をもたらすパワーがあります。宗像大社の三女神も厳島神社の三女神も、神仏習合の時代には弁財天と同一視されていました。言葉を操る弁舌の才能、また財力を引き寄せる力と合わせて弁財天と称されます。