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日本は神の国
神社というパワースポットとつながることで人は浄化され高められます。ただし、本物のパワースポットでないと効果はありません。
日本文化と神道
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日本文明の独自性とは?
むかし、ある人が総理大臣だったとき、「日本は神の国」と発言したことが問題となり、それがテレビで盛んにたたかれたことがありました。石川県の国会議員で、その選挙区には、白山ひめ神社もあります。そういった風土、文化で生きてきた人が、「日本は神の国」と言われたことはごく自然なことであったのでしょう。長い文脈の中で出てきた短い語句を拾い上げて都合よくキャンペーンするマスコミは、この当時からこうして日本文化を大切にする議員や政党を攻撃してきました。そして、日本文化を軽視し、日本人の幸福を無視する政党に政権交代をさせたのです。このマスコミのキャンペーンに洗脳される人が多くなったのは、学校教育で日本文化を軽視するようになったからでしょう。第一次安倍政権のときに地域の偉人や文化を学ぶという学校教育の予算が組まれていましたが事業仕分けですべて予算がカットされてしまったそうです。第二次安倍政権では復活したようですが。こうやって日本文化を滅ぼし、次第に外国に乗っ取らせようとしている人たちがいるということです。マスコミも加担しています。今、日本の山林や水資源地が次々に外国資本に買い占められていることを皆さんはご存じでしょうか?
大切な国土の自然や水源地を外国にほしいままに与えている政府
本来は法律により規制して、日本の山林文化や水源を守るべきです。いま、日本文化は、日本が始まって以来の危機に瀕していることをどうか忘れないで下さい。子供たちのために必要なのは本当に日本を愛する政府であり教師です。ある種の宗派では、神社参拝を禁止しているそうです。日蓮の足跡を勉強すれば、日蓮は、神社にもお参りしているし、神社の神というものを認めています。法華経三十一番神社は有名です。法華経を守護する神社が選定されているのです。日蓮が伊勢神宮で発願した事跡も残っているのです。開祖がしていたことを、後になって否定するとは、いかなる所存でしょうか。また、日蓮は、比叡山で学んで立教した人です。その比叡山は同じ時代に、鎌倉仏教と呼ばれる、種々の宗派が出ています。栄西、道元、法然、親鸞などです。その比叡山は伝教大師と呼ばれる最澄がつくったのです。そして、最澄は日本仏教の祖は聖徳太子と言っているのです。聖徳太子が十七条憲法で、厚く仏法僧の三宝を敬えと教えたことは有名です。四天王寺をはじめ寺を建立もしています。
聖徳太子は、神道も軽んじてはいません
推古天皇に、天皇は天神地祇をおろそかにしないよう進言もしています。日本では、神仏は修交され、家庭には仏壇と神棚があるのが、一昔前の姿でした。その日本文化と、「神社に参るな」との掟は、まったく相容れないものです。聖徳太子や最澄や日蓮とも相容れないものです。開祖や始祖達とかけ離れ、元の教えから歪みに歪み、ずれにずれたものなのかもしれません。日本文化を守る観点からは要注意な思考だと考えざるを得ないものです。日本神話において、伊勢の内宮の主祭神、天照大御神様は、イザナギ、イザナミの夫婦神から、高天原つまり神々の世界を治める役目を命じられましたそして、日本の皇室の祖である神武天皇つまり第一代の天皇様は、このイザナギ、イザナミの神様の子孫であり、つまり伊勢の神様の子孫です。日本の皇室はイザナギの神様から男系継承を重ねて、今日まで継承され、神武天以降は、すべての天皇は、父親を系図の上でたどれば、必ず神武天皇につながる男系継承を、連綿と続けてきました。
神棚にお供え〜祈祷の受け方
神棚に祭祀する御札は、ふつう、神社の社務所で買い求めたり、神社でご祈祷を受けた時に下賜される祈祷の神札をお祀りします。これらの神札をどのように配置してお祀りをするのか、まずその問題で悩む人が多いようです。神棚の祀り方として、三枚並べてお祀りする場合を基準にすれば、真ん中には伊勢神宮の天照大御神様の御札、神宮大麻をお祀りするのが原則です。そして、左右には、氏神や崇敬する神社の御札をお祀りするように言い伝えられています。しかし、伊勢神宮の御札が入手できず、お祀りできないこともあります。その場合には、この形式にこだわらず、崇敬する神社の御札を並べるだけでもさしつかえありません。並べて神祀りする順番についても、絶対的なものはないので、どのように並べてお祀りしても大丈夫です。右側に氏神、左側に崇敬神社をお祀りするという説やその反対の説もありますがこれもあくまでも原則に過ぎず、神棚の祀り方は、もっと臨機応変でかまわないのです。
神棚に配置するさまざまな神具に関する配置法
いろいろな説があるのですが、まずは、榊を一対、用意することが必須です。榊は専用の容器に水を入れて、神棚の左右に配置するようにします。そして、お米、お塩を専用の皿に入れて配置し、水玉に水を入れて備えます。また、お祀りに際し、時に一対のろうそくをともす場合もあります。お酒については、お正月やその家に慶事あるときに、神棚にもお酒をお供えします。毎日、榊の水と水玉の水を交換し、一週間ごとにお塩とお米を交換するぐらいでよいですが、お塩とお米は、お祀りの際に毎日交換してもかまいません。交換した後のお塩は台所や便所に流します。お祀りした後のお米はお下がりとして頂いて食べてよいです。お酒もお祀りの後、お下がりとして飲んでよいです。お祀りに際し、榊の交換は、おおむね二週間程度で輸入ものの安価な榊は枯れますので、そのぐらいの頻度で交換すればよいでしょう。なお、榊を庭に植えておけば、その枝を切って使うこともできます。このような榊の場合、二週間で枯れることはなく、水を毎日とりかえると一ヶ月から三ヶ月も枯れずに生き生きとしていることがあります。その場合は、とりかえる必要はありません。お祀りしているうちに、枯れてきたら取り替えるのでよいでしょう。小さな神棚には扉はありませんが、大きな神棚には扉がついているものがあります。扉というのは、開けておくものなのか、閉めておくものなのか、迷うことがあるようです。これも基本的には開けておき、開放的にしておくのが理想的です。そして神棚の扱いでも、もっとも重要なことは、神棚への毎日の参拝です。
神を祀り家庭に神棚を設置する
毎日の参拝をしないというのは、そもそもの神棚の設置の意味を失うことになります。参拝といっても、水などを取り替えた後で、二礼二拍手一拝をしてから、あらためて手をあわせて、神様に日々の平穏無事を感謝するとともに、世のため人のために役立ち、社会に奉仕でき、積善の家になるようにお導き下さいと願うのです。
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