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神道 神棚 祀り方

江戸時代から明治時代にかけて、日本を訪れた外国人の証言を調べてみると、日本人の当時の文化や暮らしがよくわかります。昔のことを知るうえで難しいことは、一般庶民の暮らしを知ることだといわれています。歴史記録は、珍しい物を記録することが主体で、その当時、当たり前であったことが書かれることは少ないというのです。日本人の記録では、日本人の庶民の様子は把握しきれないということです。ところが、外国人は、この日本人の庶民の様子を驚嘆の目で記録しているのです。昔の日本人の姿というものは、外国人の残した記録によってはじめて正確に知ることができるのです。
「何百年ものあいだ盗難事件などただの一度もあったことのない地方に、私は住んでいた経験がある。そこでは明治になって刑務所を建てたところ、いつもからっぽで使われないままだった。そこではまた住民は昼も夜も戸締りをしなかった。こんなことは、すべての日本人にとって、珍しいことでもなんでもない」(ラフカディオ・ハーン)

正直を重んじる日本人の精神性

日本人の道義心はラフカディオ・ハーンの著作の中でしばしば取り上げられています。「日本人は世界でもっとも教育のある国民である。日本には読み書きのできないものや、自分の国の法律を知らないものは一人もいない。」(ゴローニン)
「日本において女性は高い社会的地位を認められている。女性は理性ある存在として取り扱われる権利を獲得しており、男性とまったく同様に、自分で自分の面倒をみることができるとみなされている。たしかに、美しい娘でも、既婚婦人でも、自由を認められていて、いくつかの点でいきすぎてしまっているほどである。」(シェラード・オズボーン)

女性を大切にしたり、子供を大切にしたり、弱者を保護しようとする精神性は日本民族に古くから伝承された道徳でした。こうした貴重な記録を見ると、封建時代や明治時代の日本人がいかに高い文化と教養をもっていたかがわかります。こうした事実を、私達は、子供達に知らせていくべきではないでしょうか。いま、日本人は自国への誇りを失っています。日本民族や日本文化の素晴らしさを誇りをもって子供達に伝えていきたいものです。祖先の偉業や美徳を学んだ子供は、必ず、自分を大切にし、美徳をもって生きようとします。道を誤ってしまう子供達の育ち方を分析した記録を見ると、家庭で、両親に、道徳について、生き方について、人生について、といった道義の話をほとんど聞かされることのなかった子供が、道を誤っていることがわかります。若くして、特殊な産業に入り込んだり、そういった分野へ乗り出していく若者の家庭環境はほとんどの場合、両親の愛情が不足していたり、道義の教育がなかったようです。

愛着の障害と道義心

実際に、その業界の女性が、最近、著作を出し、自らの生い立ちを告白しています。以前、テレビのニュース番組が特集を組んでこうした産業に身をおく女性の生い立ちを検証する試みをしていました。驚いたことに、すべてが家庭環境で大きな問題があったことがわかりました。特に、両親からの愛情が不足した子供、家庭での道義の教育がなく、放置されていた子供、その反対にあまりにも束縛を受け、ときに虐待された子供。こうした生い立ちが子供達を、自分の人生を美しく生きる「美徳への道」から遠ざけていたのです。日本人の美徳への認識を強く持つことができる機会を子供に与える一つの方法として、太古より伝わる神社に参拝し、古史古伝を話して聞かせることをおすすめします。日本神話の中にさまざまな教えが残されています。神社と神道の中に日本民族の精神性の特徴がそのまま現れています。

神社とご祈祷

ご祈祷を受けると、御神札を頂くのですがこのお札は、家庭で祀ります。神棚がある方は、神棚にお祀りします。神棚の管理の方法ですが、明るく、清浄な、高いところに設置するようにしましょう。御神札の正面が、南向きまたは東向きになるようにお祀りします。仏壇や祖霊社とは、向かい合わぬように注意します。神社の御神札は、中央に伊勢神宮の神宮大麻、向かって右側には氏神様、左側には、崇敬する神社のお札をお祀りしますと一般的には伊勢神宮などで指導されています。小さな神棚で横に並べられない場合は、伊勢神宮の神宮大麻を前面にして、氏神様、崇敬神社の順に重ねますとも指導されています。神棚がないという方もおられますが、その場合には、清浄で明るく、高いところにお祀りするとよろしいでしょう。お供えですが、できるならば、毎日、お洗米、塩、水をお供えします。お供えものは、三方、お盆などに盛りつけます。一日や十五日には、酒、肴、果実、菓子などもお供えしましょう。一年間、お祀りした御神札などは、神社へ納めて、新しい御神札を頂くご祈祷を受けましょう。

日本の国は四方を海に囲まれて

これまでどの大国の植民地になることもなく独立を保ってきました。この唯一の例外は戦後七年間の米軍占領ですが、この間に、日本の良き伝統の多くは日本文化破壊政策によって、破壊されてしまいました。その結果がこの現在の日本国の憂えるべき現状です。その中でも国民の多くの信仰によって、神社が守られてきたことは救いです。日本の国土を近隣の攻撃的な国から守る神様はどの神様でしょうか。歴史と神話をひもとくと、それがわかります。北は北門鎮護の神様である青森県の岩木山神社です。北方からの侵略守る霊威です。九州では、宗像大社、宇佐八幡が国防と皇室守護に大きな力を歴史的にも発揮されました。日露戦争での日本海海戦は、宗像大社のある沖合で開戦され、日本の連合艦隊が勝利しました。宇佐八幡は道鏡事件で皇室を守護された有名な神社です。日本の周辺領土は、今、諸外国に脅かされています。この国難を払い、日本国民が守られ、領土が守られるように日本国民はこれらの神様に祈り、平和祈願、国防祈願をしていきたいものです。神社にて国民が至誠の祈りをささげてこの国難を払い平和を守りましょう。神社でご祈祷を受けると、御神札を頂くことができます。このお札は、家庭で祀るのですが、それにはいくつか注意点があります。

神社で開運するために

神社に初めて参拝するという人は、神社参拝の方法について、わからないと感じるかもしれません。一般に神社では、二礼二拍手一拝の作法で、参拝をします。出雲大社系の神社の場合は、二礼二拍手一拝の二拍手のところが四拍手になっているところもありますので、参拝の際に注意が必要です。もし、あなたが長い時間の祈りを捧げたい場合には、伝統的な参拝の作法である二礼二拍手一拝の作法の後で、あらためて、合掌瞑目して神様に心の中で話しかけるようにお祈りをされるとよろしいでしょう。神社に参拝にきたら、必ず、鳥居をくぐって神域に入ってください。そして、鳥居をくぐるときには、必ず軽く会釈してくぐります。帽子をかぶっている場合は、帽子を脱いで会釈をしましょう。参道を歩いていくと、やがてお手水が見えてきます。お手水というのは、そこで両手と口を洗い清めるための一種の禊の場なのです。ここでは、柄杓に水をすくってまず左手に水をかけて清め、次に右手に水をかけて清めます。それから左手に水を受けて、その水で口をすすぎます。最後に左手をもう一度、水をかけて清め、柄杓の柄にも水をたらして、清めて終わりです。柄杓に直接に口をつけて水を飲むような行為は、マナー違反です。

神様に失礼のないよう

このような行為のないようにしましょう。お手水で清めたら、いよいよ本殿のお賽銭箱前に進み出て、お賽銭を投じ、ここで、二礼二拍手一拝をして、そして、合掌瞑目し、祈りを捧げます。この後、社務所にいって、ご祈祷をもう込みしましょう。ご祈祷というのは五千円ぐらいから受けられる祈りの儀式であり、正式な参拝です。神職が祝詞奏上とお祓いをしてくださり、神様にあなたの願い事を取り次いでくださる儀式です。神社参拝作法における、もっとも重要なことは、ご祈祷を申し込みすることであり、ご祈祷を真心をこめて真摯に受けることです。ご祈祷を申し込みするときの金額ですが、ほとんどの神社は五千円ぐらいで受け付けています。神社によってはそれよりも若干高額であったり、逆に安価であったりします。個々の神社で違います。伊勢神宮や熊野本宮大社では五千円から祈祷申し込みができるようになっています。祈祷の式階があがり高額になるほどに儀式に巫女舞が加わったりします。この巫女舞のことをお神楽奉納と呼んでいる神社が多いです。

祈祷が始まったら瞑目し心の中で神と対話

祈りの言葉を自分なりに捧げましょう。祝詞をだまって聞いているだけよりも、自分の言葉でもいいので、しっかりと祈りこみするほうがよいです。また原則として、神主が祝詞の奏上をしている時は軽く頭を下げて、平伏します。もし、正座して祈祷を受けている場合は、床にしっかり平伏して祈ります。祝詞奏上し終わると頭を上げてよいです。椅子に座って祈祷を受ける形式の神社もありますが、その場合も、頭を下げて祈ります。ご祈祷がすんだら、直会(なおらい)といってお神酒などを杯についだものを飲ませてくれますので、車の運転をされない場合はこれを頂きましょう。車の運転をされる場合は飲酒運転になるので飲めません。祈祷の儀式がすべて終了したら、最後におみくじを引いて帰りましょう。おみくじとは神様からのお返事ですので、吉凶にこだわらず持ち帰り何度も読み返し、そのご神意を受け取る咀嚼をしてください。参拝したら、しっかりと祈り、おみくじを引く、そこに開運のヒントがちりばめられているのです。 神社参拝の仕方によって開運効果が大きく違うのでしっかり理解しましょう。さらにもっと強力に開運力を引き出す方法があります。

神社で祈ると悪いことがおこる?

最近、いろいろな精神世界の説が蔓延していて神社で願いごとをしたらいけないとか、願いごとをすると悪いことがおこると書いている本やブログもあるようです。まったくの間違いですが、多くの人がふりまわされてるようです。神社祈願が悪いことであるとすれば、二千年間の神社の歴史はすべて悪ということになります。縄文弥生の昔から、日本民族は、豊作や豊漁や天候豊潤を祈って神様をお祭りしてきました。豊作を願う神事や豊漁を願う神事や天下泰平を願う神事が、日本全国の神社に伝承されています。その文化そのものを否定するようなブログがあるようです。いったい、なぜ、神社参拝を悪くいうのでしょうか?二千年の神社の歴史、そして、日本民族の歴史を否定するのでしょうか。天皇陛下は、いつも天地神明に日本国民の幸せを祈って下さっています。宮中には、天皇様が祭祀を行う神殿があります。

日本国民の幸せと世界平和を日夜お祈りくださっている天皇陛下

それが天皇様の本来のお仕事です。天皇陛下のなさることまでも否定するのでしょうか。大森貝塚をみつけたエドワード・モースは、日本の自然を好み、美しさに感嘆していたといいます。モースと同時期に来日したスイス公使エメエ・アンペールは、日本の子供達がまず「いろは歌」を学ぶことを知って、「日本人は人生の苦難や困窮にあっても、何らの不平を持たず死ですらも宿命的な性格が与えられて平凡な日常の些事として見ようとしている」と書き残しています。いろは歌とは、諸行無常の世界を表現したもので、弘法大師の作ともされ、この世に永久的なものは何もないという無常観を教えています。その一方で、伊勢神宮の式年遷宮のように、二十年ごとに繰り返される再生の象徴も存在しています。「世の建て替え、建て直し」と言う言葉もありますが、古くなれば新しいものへと再生させる思想もあります。神社とは日本文化そのものであり、神社で祈りを捧げる行為とは日本人の生き方そのものなのです。

神社のおみくじについて

神社などのパワースポットでひくおみくじと、タロットカードで自分で占うのとでは違いがありますか?という質問がしばしばありますが、タロットも易も、占いの分類では卦をみるものです。これがくせものです。一方、手相や人相や家相は相をみるのです。それは相を見て、誰でも客観視できるものです。また、姓名判断も占星術も四柱推命も定まった生年月日や名前どおりにみるものです。経験や研究で微妙な部分に差は出ますが、これらは基本から大きくははずれません。これに対してタロットや易やサイコロ系は、その卦が出る偶然性に依存しています。そのため、特別に危険な部分があるものです。神社のおみくじの場合、マイナスのパワースポットを避けるという最初の関門がありますが、一般的に各都道府県にある一の宮クラスの神社で、よく祈り、ご祈祷まできちんと受けてから、おみくじを引いた場合は、多くは正確にご神意が出てきます。しかし、自宅や喧騒の場で、斎戒沐浴も祈りもなく、気軽にカードの卦を追う行為を繰り返せば、いつしか易占霊界をつかさどる魔物にとりつかれます。

占いにより指示待ち行動となるのが天意に反する

そもそも占いは天子が国政を正すために太古に行ったもの。それは私利私欲から離れて天意をうかがうものでした。それを民間が我欲に用いだしたことでおかしくなったのです。結論として、よほど大事なときに斎戒沐浴の上で占う場合以外では、おすすめできません。自分で勉強して必要最小限度だけ、謙虚に用いるのがせいぜいです。一方、相をみたり、生年月日や名前をみるほうの占いでは、自己修養のものさしとして活用はしやすいので、そのように使うなら大丈夫でしょう。易やタロットなどはむしろカードや易経が教える天地一体、神人合一の道を、学び取るべきものであって、自己修養のテキストにすべきものです。軽々しく占うのは、邪道なのです。

一の宮クラスを選んで神社でお祈り

神社で願いごとはするなと主張している人がいますが、その根拠として、神社では感謝しかしてはいけないとか、神社で願うと悪いことが起こるなどと書いているようです。このような妄説を唱える人は、まず歴史を知りません。日本の歴史において、日本民族は三千年以上も、天地神明に祈ることを続けてきました。豊作や豊漁や、あるいは天下泰平を祈ったのです。それは寺社への祈願文としても残されています。天皇陛下に始まり、戦国大名などの武将や貴族も、神仏に天下万民の平和や安楽を祈り願い続けてきたのが日本の歴史です。そのすべてをまるで否定するかのように、神社で願い事をするなと主張するのは、日本民族から敬天愛人の心を奪おうとする所業かもしれません。

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