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スピリチュアリズムと邪霊

地獄の鬼は誰が作り出したもの?唯識論の書物に、地獄の獄卒は誰の思いが実体化したものか、という問答があります。これはある程度は真実を告げているといえます。仏教の唯識論ではすべてが人間の想念の産物であると教えているので、その問答でも、その地獄の獄卒、つまり鬼達は、地獄霊界に住む霊人の想念の産物であると教えています。本人の意識が作り出す地獄の様相ですが、それだけではありません。その地獄の鬼は、神様が化身したものが含まれています。地獄界の罪人に針の山を登らせたり、熱湯の釜に放り込んだり、撲殺したり、荷物を延々と運ばせたりする、その獄卒、鬼の正体は神の化身した姿でもあるのです。これは少しでも早く、この地獄界から人々を救いだすために、神が救済の慈悲によりて、化身して地獄界に姿を現したものであるということです。

地獄に堕ちる理由

地獄界に死後おちる人々は、自己中心の心の塊であり、愛がなく、精進がなく、おちるべくして地獄に落ちています。そのままでは、この世界から脱出することが永遠にできずに、進歩が止まってしまいます。人間は輪廻転生しながら、霊的に進化向上していくのであり、そのためには霊界と現実界を、死んで生まれてまた死んで、生まれて死んで、また生まれて、行き来しなければなりません。ところが地獄界におちると、それがなかなかできないのです。そこで神仏はこの世界の住人の改心を促すべく、いろいろな姿に化身して、地獄まで降りてきて、地獄の霊人たちとかかわろうとされます。これが和光同塵です。神仏が光をやわらげて、チリと同じく寂光にして、降りて来られるのです。その姿は、ある時は鬼の姿で悪人どもをさらに苦しめて、改心を促し、ある時は地蔵菩薩となって、六道の辻辻で、迷える霊を導き救うのです。唯識論だけではこういう霊界の実相は見えてこないのです。

禅の戒める魔境

100%自分原因説という言葉があります。これは自分の意識がすべてを作り出しているという考え方であり、昔からある唯識論のことです。これは大間違いです。最近、この100%自分原因説を提唱する人が増えています。この思考法の骨子は、すべての原因は100%自分にあり、ほかは無関係とするものです。そして、前世もない。霊界もない。来世もない。あるのは、いまこの瞬間だけだと教えています。これは、新しい発想に思える人もいるでしょうが、実は昔からある仏教の「唯識派」の学説と同一です。唯識派では、地獄がもしあったら、その地獄の獄卒の鬼さえも、自分の意識がつくりだしたものだと思考していくのです。

神霊や神仏の存在やその意図を否定した思想

中国の仙道にいう「理気二元論」に近いものがあります。理気二元論では、宇宙には、法則である「理」と、満ち満ちているエーテルのような「気」があるだけだという世界観を持ちます。しかし、実際には、理気二元ではなく、宇宙には、「理」と「気」と、「神の意志」があります。つまり、神なる存在を認めないか、認めるかということがものすごい大きな違いなのです。100%自分原因説を主張する人の特徴は神様というものを認めないところです。厳密にいえば、身の内の神つまり自己は認めるが、身の外の神は否定しているのです。天意を否定し、神様を否定しているのです。ですから、彼らは神社参拝などしません。自分の想念、自分の信念がすべてを決めるのですから、神なる存在に祈る必要がないというわけです。しかし、はっきりいえば、この思想は間違っています。そして、これはかつて、流行った「想念術」とつまるところ同じです。自分の想念、自分の信念で何でもできるから、他者は関係ないという意識です。そこに愛念がありません。

神の意図をおしはかる、天意をうかがう謙虚さ

なので、この思想の人たちは例外なく「傲慢」です。傲慢で鼻持ちなりません。人様のおかげさまで、神様のおかげさまで、という意識もないので、人にも感謝しません。そして、この傲慢さゆえに、神仏の加護から見放されて、最初はよくても、最後は行き詰まります。神霊的にはこの冷酷さと傲慢さに見合う、稲荷につかれるということになるのです。本人の人格相応の邪霊につかれていくのです。スピリチュアルの世界にはびこる邪霊たちは、誤謬の説を広めて、人々を誠の信仰の道から遠ざけようとさまざまに暗躍しているのです。「100%自分原因説」、「空」の理論で神仏を認めない、想念術ですべて実現する、こういった人々にくれぐれもだまされないことです。想念は確かに現象化しますし、信念は人生を切り開くことでしょう。しかし、それだけではすべてを説明できないのです。

背後にある神仏の御心や天意に対して常に謙虚に

神仏と二人三脚で地上世界の理想化をめざすのが本当です。今生があるのだから、前世もあるし、霊界も、来世もあります。今生の想念に因果応報が働くなら、前世の想念にもそれが機能しているし、前世、今生、来世と、つながって作用もしているのです。そういった視点がきれいに欠如した、謬説、それが唯識論や100%自分原因説、想念術です。傲慢な天狗になる邪道です。西郷隆盛は敬天愛人という言葉を残していますが、敬天愛人とは、天意というものを敬う心を第一としているものです。天意を敬うから、天の道として、人を愛するということにつながるのです。これが正道です。唯識論ではこのような思考は生まれません。

前世療法 催眠状態は、憑霊現象がおきやすい

『「生まれ変わり」が科学的に証明された』という書があります。過去世退行催眠の症例の中で経験した前世記憶の実在について詳細に検討しています。ネパール人の前世をもつ女性の症例を詳しく調査しています。前世記憶が記憶の再合成であると考えている人は、この本を読んで下さい。記憶の再合成をするには前もって何らかの情報が必要ですが、この症例では、あらゆる角度から考えても、事前情報を得るのは難しいと思われます。事実は小説より奇なり、といった一冊です。

前世療法からわかる霊界法則

本書で使用された催眠療法は、催眠状態の被験者を過去世の自分にさかのぼらせるものです。このような催眠療法のことを「前世療法」とか「過去世退行催眠」と呼んでいます。催眠状態で語られる前世の記憶の真偽については、これまでさまざまな批判的な意見が出ていました。記憶の再合成だとか、まったくの創作だとの反対意見も多かったようです。しかし、本書では、語られた前世の記憶を事実と検証していくことで、輪廻転生、生まれ変わりが実在していることを科学的に証明しようとしています。かなり厳密に調査をしているので、信頼に値すると思います。もちろん、前世の記憶なのか、一種の霊の憑依なのかという部分は議論が残るかもしれません。前世療法を受ける場合は「医師による前世療法」をおすすめします。

心の傷と引き寄せ

自分を傷つけることができるのは自分自身だけです。自分が傷ついたと思うとき、本当に魂の傷になります。本当の自分は壊れることも汚れることもない存在です。これが潜在意識というものです。自分には幸せになる資格があると宣言しなければ幸せになれないのです。すべては自分が決めているからです。誰かの仕業でないのです。自分の心です。心の中に思い描くことが自分に引き寄せられます。敵意を思えば敵意が引き寄せられ、憎悪を思えば、憎悪を引き寄せられます。磁石のようなものです。自分が幸せになるには、過去を手放し、今の自分を幸せにする、愛と許しと夢と希望に心をおいておくことしかないのです。それが出来ない限りは環境や運命が変わりません。これまでの不幸も自分の心と関係があります。だからこそ、自分が変わらねばならないのです。そして自分が変わると周囲も変わります。まず、自分からです。

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