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スピリチュアリズムへの批判と、神に祈念することの意味

スピリチュアリズムへの批判として、しばしば神だのみを批判したり、他力本願を批判することがあるようです。仏教でも真言密教などのように加持祈祷をする宗派ではなく最近流行りの小乗仏教あるいは伝統仏教、原始仏教では、己こそ己のよるべとの釈尊の言葉を盾に、神仏に祈念することそのものを否定します。しかし、人間社会で、自分だけを信じて人を信じない人が傲慢と受け取られる事実を知るべきです。実際には人様の助けで人間は生きている。神様や仏様の助けで人間は生きているという思考は、この世とあの世を同じ視点で見たに過ぎません。守護霊や守護神であり、氏神などの信仰は、決して神だのみで努力しないのではありません。

人間としてのあらん限りの努力を前提として、神仏の加護と応援がある

このことがわかった神だのみとは、人を謙虚にさせて、感謝念を育て、傲慢さから遠ざけるものとなるのです。怨念霊とは、本人のカルマの清算を助けているものだともいえます。怨念霊はただ恨みから行動しているのですが、結果的にそのために苦しんでいる子孫は、苦しむことで、マイナスのカルマ、借金を返済してあがなっている形になります。これが現世の不運や不幸を霊界から見た角度でのお話です。守護霊や守護霊団や高級先祖霊は応援をする存在なのです。本人が心がけを変えて、愛と真心と感謝で、神仏の御心を理解して生きる、正しい人生観に立ち戻れば、たちまち応援が来て、大難が小難に、小難が無難に振り返られるのです。それでもカルマが縮小されてゼロにはなるわけではなく、一定の苦しみは避けられません。でないとあまりにも不公平になります。前世悪事をさんざんやって、今生で急に改心したら、前世の悪事の罪が瞬時に消えるわけではないのです。

どうしても一定量の苦しみだけは乗り越えなければ

そして、守られている人ほど、その苦しみが肥やしになり、経験値になり、その後の人生をよりよくする糧になるように導かれていくのです。道理を悟って改心する人には守護霊の応援、神仏の応援があるゆえに、艱難辛苦があっても、それを乗り越える人の縁、気力や体力や信念、不動の信仰心などの助けが与えられるということです。そして苦しみあがないながら罪を清算しつつ、そこからの経験、学びによって、
魂を練磨して向上していく、これが人間の魂磨きの実態なのです。まことの神仏を信仰しつつ、努力しているうちに、やがては劫が清算されて、借金が減ってきます。そして、正しい生き方をしていると、徳を積んでいきますので、今度はその徳の貯金が次第に返ってくるようになっていきます。

正しい生き方をしていれば、次第に神様からの愛の波動が授かる

それは幸福感、満足感、生きがいの感覚となって身に備わります。これが本当の神の大愛なのです。神の愛を本当に身に受けると、苦しみは癒えて、喜び、幸せが生じます。これが本当の人生の喜びであるといえます。その状態ではすでに「自己実現」もなされていて、現実でも具体的にいろいろな物事が実現して、実が実って収穫されているのです。そこまで道のりは長いのです。決してインスタントなものではありません。もちろん、前世からの徳分がありあまるほどある人は、インスタントに開運しますし、信仰心もなくてもすいすい自己実現しますが、それだけの苦労と努力を前世にしているのです。それゆえに、祖先が徳を積んでいる家系の家に生まれてくるのです。すると怨念霊もほとんどいなくて、強くて賢い守護霊が最初から導いてくれるのです。前世の苦労と努力へのご褒美なのです。世の中は、完全に平等にできているのです。完全に平等に報われるがゆえに、今一瞬だけ切り取ってみれば、不公平、不平等にみえるのです。正しき覚悟で日々、神仏に祈り、目前のテーマに努力をしていけば、知らないうちに怨念霊などの邪霊は全部、神様によって救済されてなくなってしまうのです。

 

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